プロフィール

~40代からの冒険の書~

【名前と年齢】
はとぽっぽ 40代

【仕事】
昔は教育関係。今は違う業種の会社員。

【好きな食べ物】
スパゲッティー 寿司 ラーメン ナンで食べるインドカレー

【好きなこと】
英語の勉強
外国に行くこと
ランニング 空手(黒帯で二段所持)
映画を観ること。月1回は映画館に行く。ジャンルは何でも見る雑食性。
ペットの世話(デグーという、ほとんどリスみたいなネズミ君を飼育中)
米国株式投資

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はじめまして!

はとぽっぽと申します。中部地方に住んでいる、ごく普通のステキなオジサンです(笑)
「40代からの…」というタイトルは文字通り、私のブログチャレンジ開始時期です。

「冒険の書」というのは、「ドラゴン・クエスト」(通称:ドラクエ)という勇者が魔王を倒しに行くゲームシリーズのセーブデータのことです。自分が主人公になって「冒険の書」にデータを記録していくわけです。プレイしたことのない方でも、ドラクエって名前を聞いた事はあるのではないでしょうか?

このゲームがブレイクしたのが私の少年時代で、TVゲーム機器「ファミリーコンピュータ」(通称:ファミコン)用のゲームでした。夜遅くまで遊んでは親に叱られたものです(笑)
あと、ドラクエを巡っていろんな出来事も報道されてましたよ。盗難事件や発売日に学校をサボる子供たちとか…

話を戻しましょう(笑)
私は今、会社員生活をしています。

で、冒険の書の目指すところは次の通り

・オンラインの「ブログ塾」をつくり、独立や副業を支援すること。
・塾で米国株式投資を紹介する活動もすること
・世界中の様々な国を旅してすること
・国内外の教育関係の支援をすること

こう思うに至るストーリーを紹介します。

アメリカに行って海外に憧れるように!

高校時代に2週間のアメリカでのホームステイを経験して英語や外国を知る事が大好きになり、国内で留学制度のある大学へ進学しました。「日本人らしいことを身に着けよう!」と空手部に入りましたが部員数が片手で数えられる廃部寸前の状態。まあ、留学のために入った学校だから空手は黒帯を取れたらいいや、くらいな感じでした。

しかし、空手が面白くなって「全国大会で結果を残そう」という目標を持つように。部員も20人を超えました。目標を叶えたくて、留学は断念。頑張って全国大会の団体型という種目で4位の結果を残しました。しかしその後、眼球に「網膜剥離(もうまくはくり)」という大怪我を負い、空手とは距離を置くことになります。

大学を出た後は留学への思いが断ち切れず、就職せずに工場でアルバイトして資金を貯めることにするも、行く先々で集団リストラに。外国人労働者との入れ替えが次々と起きていたためです。さらに必要金額が大きく、仮に留学しても卒業後は何歳なのか、仕事に就けるのか、時代は「就職氷河期」だし…などの問題がリアルに怖くなり結局、安全を求めて就職活動をします。

塾に就職。やりがいはあるけど…

大学卒業から3年目で全社員40人くらいの小さな会社にやっと就職。小学生~高校生を対象にした個別指導の学習塾でした。街角や小さなビルの中とかで、こぢんまりとした塾って見かけませんか?あんな感じの教室を展開する会社でした。ちなみにああいう塾の中には昼間は社員が1~2名常駐していて、夕方になるとアルバイト講師や生徒が来て賑やかになります。

成長していく生徒たちやアルバイト講師たちを相手にする仕事は楽しく、やりがいがありました。一方で労働時間は毎日12時間以上。昼11~12時に出社し、深夜1時の終電で帰り、アパートでTVを見ながら食事して午前3時に就寝。朝9時に起きてニュース見て、出勤…。月末は経理書類業務に追われて仕事場に泊まることも当たり前。夏や冬の「夏期・冬期講習」期間は朝8時に出勤して22~23時に退勤。10年間勤めて、ずっとこの生活でした。

今だったら「ブラック」確定ですね。でも当時はそういう言葉すらなく、これが普通だと思っていました。何とか続けることができたのは、教育サービスという仕事と会社の仲間が好きだったから。勤務時間は長かったけど、会社の雰囲気は良かったです。イヤ~な上司とかキツい上司とか、大っ嫌いな上司とか、もちろんいましたよ(笑)。でも、そういう上司は少数でした(だから余計に目立ってたけど:笑)。社長も幹部も現場社員も「熱血派」が多く、人望の厚い人も多かった…。情熱が先行して会社が運営されてる感じでした。

この塾での日々は、後の私に多大な影響を与えます。あ、「良い意味で」ですよ(笑)

転職するも、挫折を経験。調べたら、えっ?うつ病の症状だ…

しかし…少子化の波をジワジワと感じるようになり、さらにリーマンショックを機に会社の経営が悪化。10年務めた会社の退職を決意します。教育サービスへの未練はありましたが…

その後は資格取得のため専門学校に入学。資格取得後は全く違う種類の仕事に再就職しました。ですが…数年後に人間関係も仕事もうまくいかないことが連続して精神的に大きく崩れ、退職してしまいます…。そこまでメンタルが崩れることは、人生で初めてでした。

退職したのは秋から冬へと、寒さが一段と増していくシーズン。部屋で一人、夜が近づいてきて寒さが増すとゾワ~っと怖くなったり、寝る時に部屋を暗くすることに恐怖を感じて明かりをつけたまま寝たり、朝になって目覚めるのが怖かったり…。「怖い」という感情にしばしば苦しめられるようになっていました。かつて空手でたくましかった自分がどうして…そう思うと余計に苦しくなりました。

ネットで調べてみると「うつ病」の状態。でも病院には決して行きませんでした。「あなたはうつ病です」とお医者さんから診断を突きつけられたら、もう立ち直れないという思いがあったからです。

診断を受けるのが怖くて医者に行けなかった、というのが正確な表現です。

きっと、外国に行ったら楽になれる

「もう、何もかも忘れたい。楽になりたい…!そうだ、外国に行ったら気持ちが紛れるかもしれない。うん、とりあえず、そうしてみよう、行ってみよう…!」 こんなふうに思うようになり、海外への放浪を決めます。

選んだのはベトナムとオーストラリア。理由は寒い場所を避けたかったから。ベトナムは暑い国だし、日本の秋~冬はオーストラリアの春~夏です。きっと、こんな場所なら楽になれる…。

最初に向かったのが、ベトナムのホーチミン。蒸し暑い空気の中、街の道路には昼も夜も濁流のようにスクーターやらクルマやらがあふれていました。繁華街は観光客と現地の人々の活気で満たされ、深夜まで夏祭りのような賑わい。耳慣れない言葉が飛び交い、まさに未知の世界。そういえば、ボッタクリのタクシー運転手と英語で大ゲンカもしました(笑)

宿泊したユースホステルには世界中から来たバックパッカーだらけで、日本人は私だけ。若者から白髪の人まで年代は様々。宿泊客や従業員の会話は全て英語。日本語も日本人もない世界で過ごすのは数年ぶりで、朝から晩までずっとワクワクしてました。

次に向かったのはオーストラリアのシドニー。飛行機を降りると、初夏の心地よい空気が私を包んでくれました。そしてオペラハウスの建物の美しさと大きさ、そしてシドニーの街の活気に私はすっかり魅了されました。

現地で申し込んだツアーに参加すると、世界中から来た観光客との素晴らしい時間を共にできて心が躍りっぱなしでした。「そういえば、昔は海外に憧れてたなぁ…」毎晩、寝る時にそう思っていました。

元気を取り戻し、帰国。過去の自分が帰ってきた。

そんな生活をしていくうちに、いつの間にか、心にびっしりと沁みついていたカビのようなものが少しずつ、少しずつ、洗い流されていきました。1日中ずっと張り付いていた「怖い」という感情は姿を消し、寝る時に部屋が暗くても問題なく寝られるようになって、帰国します。この経験の前にも数年に1回くらい海外旅行はしていましたが、長くても3~4日程度のパックツアー。今回はバックパッカーみたいに1人で行き、滞在時間も1か月程度。自分にとって、海外滞在最長記録でした。

「素晴らしい!こんな経験を何度もしたい…」帰りの飛行機の中で、過去の自分が帰ってきました。

しかし、どうすれば良いか?
帰国後に再就職しつつ、手段を模索する日々が始まります。

ブログで稼ぐというのを聞いたなあ…

そういえばブログで稼ぐっていうのを見たことがあったな…でも本当か?月〇十万円?100万円?ホントかよ…胡散臭いなぁ…、と心の中で何度も文句を垂れつつもとりあえず、何人かのブロガーのメルマガに登録したり、ブロガーの本を読んでみることに。

どうやらブログで生活が成り立つことは、本当らしいことは分かってきました。とはいえ、何も行動しないまま1年以上が過ぎていきました。そんなある日、何となくメルマガを読んでいるとブロガー育成コミュニティーのメンバー募集を知り、説明会に参加してみました。

稼げるようになれば、独立して自由な時間が手に入る。パソコンさえあれば外国に行っても仕事ができる。でもなあ…大丈夫かなあ…どうしよう…やめとこうかな…いやいや、やってみないと、何も動かない。…うん、やってみよう!

こんな堂々巡りを何度も何度も何度も繰り返した末の結論は

「動かなければ、人生はこのまま何も変化しない。」

勇気を振り絞ってコミュニティーに飛び込んだのが現在の私です。

ブログの塾をつくりたい。

「もう一度、何らかの形で、教育に関わりたい。受験としてではなく、何か他のかたちで…」塾を辞めてからも、そんな思いが心の片隅にくすぶっていました。でも、その具体像がなかった。

そんな私に道を示してくれたのが、そのコミュニティーでした。メンバーには私のような思いの方々が、自らのコミュニティーを立ち上げて活躍しています。こんな世界があったのか…と、驚きと感動の入り混じった感情を覚えました。

そんなメンバー達を見て、思いました。いずれ、自分のコミュニティーを持ちたい。私流に言えば「ブログの塾」というわけです。今度の塾生は学生ではなく、成人です。再び、生徒たちが成長していく姿を見てみたい…そう思のに時間はかかりませんでした。

そしてコミュニティーの中で米国株式投資の紹介もしてみたいな、と。もともと日本株の投資をしていましたが、長期投資には米国株が非常に良いことを知り、切り替えていた時期でもありました。

ここ数年で日本での米国株式投資への環境は急速に向上し、英語ができなくても投資できるサービスも充実してきています。「お金を稼いで、米国株投資をして、資産を増やす」こんなアドバイスもブログ塾でやっていけたら、素敵だな…と。

国内外の教育の支援に関わりたい。

塾をやっていた頃、思っていたことがあります。「塾に通えない子供たちもたくさんいる」ということ。

家庭事情から塾を去っていく生徒たちも少なからず見てきました。授業料滞納の末に家族がいつの間にかどこかへ引っ越していなくなるケースも見ました。

「家庭の収入と子供の学力には相関関係がある」というニュースも目にします。わずかながらそういう子供たちを支援する力添えをできるようになりたいと考えています。

海外の子供育成支援もしていきたい。先述したベトナムではかつてのベトナム戦争の爪痕が未だに残っている現実を見ました。戦争中、広範囲に撒かれた「枯れ葉剤」が与えた影響はその当時の人々だけではなく、21世紀になった今でもその子供や孫にまで身体面・発達面で被害を与えて続けています。手足のない子供や、顔の半分が溶けたような姿の子供、大人になってから脳に支障が出現する父親とその世話をする子供…。

ベトナムだけではなく、カンボジアに行ったときも、子供の貧困を目にしました。

1年に1回だけ慈善団体へ微力ながら、寄付をしています。私にできることは本当にわずかとは思いますが、収入を増やしてもっと余裕が生まれてきたら、もう少し力添えをしたいと考えています。これは「慈善活動」の話ですが…。

いろんな世界をこの目で見て、経験して、自分の血肉にしたい。

そして、様々な国々を自分の足で回り、見分を広げていきたい。これについては、こう表現する以外に表現が見当たらないので、これだけです。

さて、長々と書きましたが、これが私の今後の人生に書き加えていきたい「冒険の書」です。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。ここに紹介した目標に向かって、私は進んでいます。